つくしんぼの命名と設立まで

 施設長の私は、人と話すことや沢山の人の輪に入れない性格から孤独感を味わっていたときに、友人から薦められた一年間の認知症老人の勉強と認知症デイサービスの実習で利用者から思いも寄らぬ沢山の自信をいただき、老人福祉に関心を持ちました。
 それを機に平成5年、老人ホームに勤務しました。疑問も持つところもありましたがお年寄りから沢山の感動もいただくとともに沢山のことを学ばさせていただきました。当時、民が立ち上げた在宅施設があり、その施設に非常に関心を抱き、近隣の方に声をか夢見て歩みだしました。普通のおばさん12名での歩みは、どこに行っても相手にされませんでした。市長に要望書を出す糸口すら寸断され、そんな中で自治会・老人会・民生委員等の協力を得て、地域に根付いた活動を地道に続けてきました。
 平成10年に、NPO法が施行され、いち早く乗ることができました。その中で、 地域の地主から用地の提供を受け、社会福祉法人として補助金を受けた施設認可の申請をはじめました。作業は多大な苦労と多難な経過の中、平成12年念願の在宅3本柱複合施設認可が、東京都と厚生省の審査会を通過し、東京都財務局で用地助金評価額の決定を待つばかりとなったのですが、突然、地主側から、明確な説明もなく計画が取り下げられました。この施設作りにすべてを注ぎ込んできた計画が頓挫し、人間不信に陥り、会の解散を決意し引きこもり生活となってしまいました。150名の会員からは、励ましが続きました。ほぼ1年余り経過後、空土地の利用方法を検討している人がいるとの情報が入りました。やっと地主にたどり着きましたが、NPO法人という団体を理解していただくのにも時間がかかりました。やっと理解していただけたら、条件は寄付ではなく貸すという趣旨でした。目指した社会福祉施設では賃料が賄えず、計画は予想もしてなかった有料老人ホームとなりましたが、家庭のような介護をする箱が欲しかったのです。ただ、自治会・老人会・民生委員等の協力を得て、地域に根付いた活動を続けてきただけに、有料老人ホームは営利目的と誤解され、残念でしたが協力を得ることが困難になりました。
 小泉首相が地域住民による老人ホーム(純ちゃんハウス)を勧めていたのですが、町田市は有料老人ホームを認めず、朝日新聞又各新聞社や各テレビ局が大きく取り上げ、また各業界の方々の協力を得て、やっとのことで許可されました。
 建物は地主に協力金として2億近いお金を準備しなければならない大きな壁がありました。普通のサラーリーマンではとてつもない大きな金額でしたが、会員に呼びかけると26室を1口500万で会員に予約していただくことで、着工に必要なお金が集まり、残りは入居一時金で賄う計画でスタートできました。
 私たちの活動は、種をまきやっと芽が出たと思うと駄目になってしまう多難多き道のりの繰り返しの中、立ち上がり続けてきました。我々の活動は、雑草のように踏まれても踏まれても、たくましくとのことで「つくしんぼ」と命名しました。